Eddie Stern先生からのお話「すすんで自粛するとはどういうことか」
2020年4月6日、NY在住のEddie Stern先生からの生徒へのメールを友人の的野裕子さんが翻訳をサイトで掲載していたものを許可頂きまして転載します。
世界で新型コロナウイルスが拡大している今の生活を送る中でEddie先生のこのヨガ的視点の考察のお話をみなさんにシェアしたいと思いました。私にはこのお話は今どう過ごし乗り越えていけるのか考える日々にヨガや日常生活に対して気づきや発見がありました。AYOのサイトに掲載し私もみなさんの何かに役立てればと思いました。よかったらどうぞお読み下さい。
転載元:https://www.yukomatono.com/home/2020/4/8
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すすんで自粛するとはどういうことか
みなさん、こんにちは。
先週から、自制や犠牲、それに世界の現状について、ヨガ的な視点で考えていました。そこで、そのことについて私の考えを少し共有しようと思います。
サンスクリット語の「タパス」という言葉は、自分の習慣や習性、無意識の行動に逆らう時に起こるものとして説明されています。タパスをおこなうことで熱が生まれ、体や心は落ち着かなくなったり、不安を感じたりすることがあります。自分を抑制したり、制限したりする行為によって生まれるものです。
自分を抑制するのは楽しいことではないですし、そもそも抑制は楽しいものではありません。しかし、抑制する理由がわかっていれば、チャレンジや課題となります。また、抑制(自制)には大抵見返りがあります。体によくない食べ物を自制すれば、健康になります。夜ふかしを自制すれば、いつもより早く眠ることができ、清々しく目覚められます。非難や批判をしないように心がければ、もっと幸せになります。新型コロナウィルスが蔓延している間は外出しないようにすれば、自分や周りの人たちがより安全で健康でいられます。
長く受け継がれているすべての教えには、抑制や自制(犠牲、献身、供物とも言う)の実践があります。どの教えにも、人間には個人と共同体の意識を高める潜在能力がある、というのが基本原則のひとつにあります。より良い未来のために、今を犠牲にするのです。より良い明日のために、今日を犠牲にするのです。人間が欲求や欲望すべてを貪ると、自分のことばかり考えるようになり、共同体のことを考えなくなるので、抑制や犠牲を実践するのです。
また、抑制は時間を見つけることでもあります。やりたいことを何でも、いつでもできていたら、求めるものを手に入れるまでの間しか、時間に苦慮することはありません。しかし、短い期間でも何かを抑制したり、あきらめたりしたら、そのことによってできた、一見延々と続くように思える新たな時間に、いやでも向き合うことになります。そのような試練の時間に向き合う最善の方法は、目の前にあることに集中し、一度にひとつのことをやり、途方に暮れないことです。
今まさに世界では、今という瞬間を生き、思慮深く、思いやりを持つことを求められています。
思いやりには2つの方向性があります。自分への思いやりも、身の回りの人たち(知っている人も知らない人も)への思いやりも必要です。
今日のZoomクラスの終わりに、特にチャレンジングなポーズの後で、昔からの生徒でもある友人が「このポーズをすると自分が嫌になります」とチャットでコメントしました。これを読んで、私はとても悲しくなりました。ヨガは決して自己嫌悪させるようなものではないはずです。『バガヴァッド・ギーター』の中でクリシュナは、練習の努力は無駄にはならないと言っています。練習の結果がどんなものか、いつ来るのかはわかりませんし、知る必要もありません。しかし、練習の努力によって何かが変わります。では、練習とは一体何なのかというと、そっくりそのまま、今やっていることに集中し続ける努力のことです。
人間の体は、身の回りに脅威を感じると、命を守るためにアドレナリンやコルチゾールを放出します。戦うか、逃げるか、動かなくなります。これを長い間何度も繰り返すと、体内に炎症のような状態が生まれ、それが不安、高血圧、消化器疾患、その他の深刻な病気につながります。一方で、自分で自分を非難したり、責めたりしても、外部の脅威を感じた時と同じ反応を引き起こし、まったく同じストレス反応が体内にあらわれます。つまり、自分自身に対して戦ったり、逃げたり、動かなくなったりします。人間の体は、外部の脅威と自分の中の脅威に対する反応を区別しないのです。
このような状態から自分を救うには、自分に対してやさしさ、思いやりを持ち、自分の体、呼吸、心、感情に気を配ることです。それが自己批判や自己嫌悪に対する救済となります。自分の背中をそっと押しつつも、がんばり過ぎない、やり過ぎないこと。それでも努力はするのですが、その努力とは、最善だと思うことを念頭に置き、それに基づいて行動しようとすることです。常にうまくいくとは限りませんが、うまくいった時は、うまくいく状態を続けられます。
ヨガというのは自制することでもあります。日々ほんの少しでも自制を実践することで、自分や身の回りの人たちにもっとやさしくなれるようになります。それには、かなりの実践を積み重ねることになります。
ですから、自制や抑制、犠牲というのは、単により良い未来のために何かをあきらめることではありません。逆の方が良いからやらないようにする、という意味です。気を配る方が良いから、目をそらさないようにする。やさしい方が良いから、冷たくしないようにする。冷静でいるように務める方が良いから、不安に取り憑かれないようにする。これが、確かな自信を持って自制できているということです。
現在のような不確かな、先の見えない時期には、確かに自信のある自制を少し実践するだけでも非常に効果があります。
以上です。このような考えがあなたの役に立ち、助けになれば幸いです。
愛を込めて
EddieとJocelyneより
翻訳:的野裕子
Eddie Stern : https://eddiestern.com/